ハルと暮らし始めた頃、私はよくこう言われました。
「犬は留守番に慣れるから大丈夫だよ」
確かに、少しずつ留守番の時間に慣れていき、大きく騒ぐこともなくなりました。
最初のころのように、出かける気配を察して落ち着かなくなる様子も減り、
静かに見送ってくれる日が増えていきました。
だから私は思っていました。
留守番には、慣れてきたんだ。
でも――
本当に慣れてほしかったのは、ハルではなく、私のほうだったのかもしれません。
静かな部屋を想像してしまう時間
仕事をしているとき、
ふとした瞬間に家の様子を想像することがありました。
静かな部屋。
動かない空気。
ひとりで過ごしている小さな体。
何かあったわけではありません。
でも、
暑くなっていないだろうか
落ち着いて眠れているだろうか
寂しくないだろうか
そんな想像が浮かんできます。
そして私は、何もできない場所にいます。
この「何もできない距離」が、思っていた以上に不安を大きくしていました。
慣れているはずなのに消えない心配
ハルは落ち着いている。
それは分かっています。
でも心配はゼロにはなりません。
なぜなら、私はその時間を見ていないからです。
見えていない時間は、想像で埋めてしまう。
そして想像は、
たいてい少し不安寄りになります。
本当に欲しかったのは「慣れ」ではなかった
見守りカメラを考え始めたのは、特別な出来事があったからではありません。
ただ、
「今どうしているかが分からない時間」を減らしたかったのだと思います。
実際に様子を確認できるようになってみると、
静かに寝ている姿
ラグの上で丸くなっている様子
時々体勢を変えてまた眠る姿
想像していたよりも、穏やかな時間が流れていました。
安心は劇的な変化ではなく静かな変化だった
何かが劇的に変わったわけではありません。
でも、
確認できる
様子が分かる
無事だと知る
それだけで、心の負担が大きく減りました。
不安が消えたというより、不安が長く続かなくなったのです。
「見守ること」は干渉ではなく安心だった
最初は、ずっと様子を見てしまうかもしれないと思っていました。
でも実際には、確認できる安心があることで、
見る回数は自然と減っていきました。
いつでも見られるという安心は、常に見続けることとは違うようです。
安心は距離を埋めてくれる
留守番に慣れることは大切です。
でも、安心して過ごせる環境を整えることも、同じくらい大切だと感じています。
ハルが安心して過ごせること。
そして私も安心して外で過ごせること。
その両方がそろって、
ようやく本当の意味での「安心」になるのだと思います。
今日も仕事を終えて帰ると、
ハルはいつもの場所で丸くなっていて、帰宅した私を見ると全力で迎えてくれました。
その姿を見るたびに、
この安心は、少しずつ積み重ねてきたものなんだと感じます。

