見守りカメラを使い始めてから、気持ちはずいぶん楽になりました。
でも正直に言うと、
「これで全部安心」とは、ならなかったんです。
手放せた心配もあれば、
最後まで残った心配もありました。
今日は、その「残ったほう」のお話です。
目次
姿が見えても考えてしまうこと
画面に映るハルは、だいたいいつも通りです。
ソファのひじ掛けだったり、
ラグの上だったり。
その姿を見ると安心するのに、しばらくすると、別の考えが出てきます。
「ちゃんと水飲んでるかな」
「暑すぎたり寒すぎたりしてないかな」
「このあと何かあったらどうしよう」
姿が見えても、“未来の心配”までは消えませんでした。
これは道具では消えない心配なんだと思った
そのとき気づいたんです。
ああ、これは機械の問題じゃないな、と。
見守りカメラは「今」を見せてくれる道具だけど、私が心配しているのは「これから先」のことでした。
未来のことを考え始めたら、たぶん何を使ってもゼロにはならないんですよね。
それでも使っていて良かった理由
それでも見守りカメラを使っていて良かったと思うのは、「考えすぎる時間」が減ったからです。
心配がゼロになるわけではないけれど、広がり続ける想像が、少しで止まるようになりました。
画面を見て、
「あ、大丈夫そうだな」
と思えるだけで、そこから先の心配に進まずに済むことが増えました。
心配性は、なくならなくていいのかもしれない
私は心配性です。
でも最近は、
「なくさなくてもいいのかも」と思うようになりました。
少し気にするから気づけることもあるし、
大事にしたいと思う気持ちの裏返しでもあるから。
見守りカメラは、心配を消す道具ではなくて、
心配と上手に付き合うための道具なのかもしれません。

